扇面 「うまさふな雪やふふはりふふはりと 人も一茶」

概要
- 作品名
扇面 「うまさふな雪やふふはりふふはりと 人も一茶」
- 時代
- 分野その他の美術 書
- 解説文
口語調を得意とした芭蕉の門人広瀬惟然の句風や俳画を意識して作った句。「~も一茶」はその画も一茶が描いたという意味で、一茶がよく用いた表現。「七番日記」所収の「むまさうな雪がふうはりふはり哉」(文化10年)が初案



扇面 「うまさふな雪やふふはりふふはりと 人も一茶」
口語調を得意とした芭蕉の門人広瀬惟然の句風や俳画を意識して作った句。「~も一茶」はその画も一茶が描いたという意味で、一茶がよく用いた表現。「七番日記」所収の「むまさうな雪がふうはりふはり哉」(文化10年)が初案


扇面 「旅人がかきねにはさむおち穂哉 鳴子も一茶」
落穂までも大切に扱うような、米作りに丹精を込めていた当時の農民の心情を活写した句。鳴子の画はめずらしい。「~も一茶」はその画も一茶が描いたという意味で、一茶がよく用いた表現。「文政句帖」文政5年初出


扇面「やれ打な蝿が手をすり足をする 人も一茶」
足をこすりあわせる蝿の動作を、人間に命ごいをしているように詠んだ作品。小さな生き物や弱い立場の人々に深い共感と同情を寄せた一茶の精神がよく現れた一句。「~も一茶」はその画も一茶が描いたという意味で、一茶がよく用いた表現。「八番日記」文政4年初出


扇面「窓前 ほくほくとかすんで来るハどなたかな・
軽井沢 笠でするさらばさらばやうすがすみ 一茶坊」
出会いと別れを詠んだ2句。軽井沢は飯盛女が多い宿場で、旅人が女性に別れを告げている様子。いずれも「七番日記」初出


扇面「評判の八重山ざくらあゝ老ぬ」他3句
文政元年作の、桜を詠んだ4句を記した作品。長野市にある刈萱伝説ゆかりの寺(西光寺または往生寺)や、新潟県十日町市の新保広大寺に関する当時の戯歌の一節を詠み込んでいる。


短冊「立鴫の今にはじめぬ夕哉 一茶」
東海道の大磯宿で詠んだ作品、大磯には俳諧道場「鴫立庵」があり、倉田葛三が庵主をつとめていた。「享和二年句日記」初出


烏の自画賛「門の木の阿房烏も初声ぞ 烏も一茶」
元旦の烏の初音をよんだもの。烏がユーモラスに描かれている。「~も一茶」はその画も一茶が描いたという意味で、一茶がよく用いた表現。「七番日記」所収の「門の木のあはう烏もはつ音哉」(文化8年)が初案。本作も同書の文化11年条に掲載


一茶筆・素玩画「去来像の画賛」
芭蕉の門人向井去来の肖像を三木素玩が描き、一茶が去来の代表句を揮毫したもの。素玩は京都の俳人で成美、一茶らと交遊した。文政元年1月に一茶を訪ね、湯田中や善光寺などを訪ねている。


一茶・井月短冊貼交「福々と乗ば牡丹の台かな」他
一茶と井上井月(1822~1887)の短冊を貼交にした一服。井月は幕末から明治にかけての俳人で、元越後長岡藩士とされる。幕末に信州伊那谷に現れ、以後放浪俳人として暮らした。書の達人で芥川龍之介に激賞されている



団扇「里々を涼しくなして夕立のひかりしりぞく山の外かな」
団扇の裏側に一茶が俳諧歌を書いた大変めずらしい資料。夕立によってもたらされる涼しさと団扇の涼しさを重ねあわせて書いたものだろう。この俳諧歌は一茶晩年の得意作で、数々の作例がみられる。「文政句帖」文政6年初出


句稿「水江春色」11句1首
文政元年から同2年にかけての俳句11句と、文化10年の俳諧歌1首を書いた作品。俳句は「七番日記」、「八番日記」所収。俳諧歌は「志多良」所収。一茶の有名句「雀の子そこのけ〳〵御馬が通る」を含む。


句稿「里の雪」3句1首
故郷に定住した一茶が、雪国の風土を暖かい目でよんだ作品。「酔一茶」はおもしろい署名である。一句は「七番日記」(文化14年)所収。


書幅「松陰に寝てくふ六十よ州かな 一茶」
徳川幕府の平和な治世を称える句で、一茶の得意作として最初の句碑にもなった。「松陰」は徳川氏の旧姓「松平」と征夷大将軍の唐名「大樹公」からイメージしたものだろう。句文集「株番」(文化9年)に茨城県守谷市の西林寺鶴老と巻いた歌仙の発句として出てくるので、最初は同寺の寺宝「東照大権現像」を称える意図から詠まれたものと考えられている。


句稿「足枕手まくら鹿のむつまじや 一茶」
鹿の仲睦まじい様子を詠んだ句。「七番日記」文化11年初出。


句稿「只たのめ花ははらはらあの通」他4句
寛政3年から文化中期にかけて詠んだ5句の書いた作品


句稿「朝つからかぢるついたるいろり哉」他2句
「七番日記」文化13年11月・12月条に見える。一茶はすでに柏原に住んでいたが、この年の10月に江戸へ出かけた。江戸や房総の門人・知人たちを巡り歩いていた時期の句。


色紙「なくななくなそれ程まめでかへる雁 一茶」
春になり北へと帰る雁を詠んだ句。「まめ」はここでは「健康」の意。「七番日記」文化12年初出。


句稿「寝た所が花の信濃ぞとしの暮」他3句
文化8年から文政5年にかけての歳暮・歳旦・春興の作品をまとめた句稿。3句は「七番日記」所収。一句は「文政句帖」に類句が見える。


自像自画賛「やれ打な蝿ハ手をすり足をする 人も一茶」
足をこすりあわせる蝿の動作を、人間に命ごいをしているように詠んだ作品。中七「蝿が手をすり」が有名だが、一字違いの別案。「~も一茶」はその画も一茶が描いたという意味で、一茶がよく用いた表現。「八番日記」文政4年初出


句稿「たのもしやてんつるてんの初袷」他1句
夏目成美筆 一茶・成美ほか半歌仙「させる夜も」貼交
句稿の句は「七番日記」文化13年初出。この年一茶は長男を亡くしており、その子の成長を想像して詠んだ句と考えられる。夏目成美筆の半歌仙は、一茶の詠んだ発句「させる夜もなくてふりゆく萩の花」が、「文化句帖」文化3年7月17日条に見えるため、この日、成美宅の定例句会で詠まれたものと判る。板倉淅江・梅沢梅寿・本行寺一瓢ら成美の門人・仲間が集って巻いている。