ねこ館長日記

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企画展「一茶365+1きりえ」の展示替を実施

6月1日から開催中の企画展「一茶365+1きりえ~柳沢京子の世界~」の展示替えを行いました。展示品約30点のうち、20点弱を入れ替えましたので、是非ご覧ください。

今回の展示替えでは、地元信濃小中学校の8年生(中学2年生)1名がお手伝いをしてくれました。写真では、真剣な表情で、キャプション貼りを手伝ってくれています。

一茶の新事実を矢羽先生が語る

6月30日、今年度の第1回の一茶記念館講座を開催しました。今回は、一茶研究の第一人者である、上田市在住の矢羽勝幸先生を講師にお招きし、「一茶と二六庵」というテーマでお話いただきました。

青年期に江戸で俳諧の道を志した一茶は、「葛飾派」と呼ばれる流派に入門し、何人かの俳人に師事しましたが、そのうちの一人二六庵竹阿から、「二六庵」の庵号を継承し、「二六庵一茶」と名乗りました。

これまで、一茶が二六庵を名乗った時期は、寛政11年(1799)から享和元年(1801)の間とされてきましたが、昨年当館が発見した新資料により、享和3年まで名のり続けていたことが判りました。

一茶記念館ではこの新資料「一馬三回忌追善集」を矢羽先生に研究していただき、その成果を今回初めて発表していただきました。庵号は、俳諧宗匠(流派公認の俳諧の師匠格)の資格を示すものであり、一茶は俳諧宗匠として、この本が出た翌年、文化元年か、さらにその次の年まで活動していたと考えられます。

一茶はちょうどこの時期、葛飾派を離れ、夏目成美ら、当時の江戸の一流俳人との交流を活発に始めますが、一説には破門されたとされる葛飾派離脱の理由や、その時期などは、これまで様々な説が提唱され、定説がありませんでした。今回の講演では、新しい発見を元に、この問題に新たな光が当てられました。

今回の新資料は、講演後一茶記念館常設展示室で展示しております。よろしければ是非ご覧ください。

 

マンドリンのやさしい音色

6月10日に、童謡「一茶さん」マンドリン演奏会を開催しました。プレットロ・ロマンティコのみなさんは、名古屋市を中心に活躍されている合奏団で、「一茶さん」の作曲家中野二郎氏のご子息、中野雅之さんの指揮のもと活動しています。

今回は、「一茶さん」のほか、「夜更けのオルゴール」、「赤い鳥小鳥」、恒例となっている「ふるさと」などの名曲を、マンドリンの音色と、美しい歌声で演奏し、観客を楽しませていただきました。

プレットロ・ロマンティコは今年が結成50周年となる歴史ある楽団です。節目の年を迎えて、ますます素晴らしい演奏を届けていただきました。

柳沢京子さんが来館されました

本日から、企画展「一茶365+1きりえ~柳沢京子の世界~」を開催しております。柳沢京子さんは。「一茶かるた」をはじめとしたきりえの作品を多数発表されている、長野県を代表するきりえ作家です。

この企画展は、柳沢さんが昨年出版された、企画展と同タイトルの作品集に収録された作品を中心におよそ30点を展示しております。シャープな線と、淡い彩色の作品群で、いつもより展示室が華やいで見える企画展となっています。

本日は初日ということで、作者の柳沢京子さんがお越しくださいました。ちょうど団体のお客さんが入られていて、ご紹介申し上げると、歓声があがっておりました。

企画展は、8月26日(日)まで、展示替えをはさんで開催しております。皆様ぜひご覧ください。

リリー・フランキーさん出演音声ガイド内覧会

今年度整備を進めていた、音声ガイド「一茶の語る一茶のものがたり」が完成し、3月28日に、マスコミ各社を招いて内覧会を開催しました。

音声ガイドは、リリー・フランキーさんが一茶役となって、一茶記念館の展示室および周辺の俳諧寺・一茶の墓をご案内しながら、一茶の生涯を語りかける内容です。

落ち着いた、渋くて素敵な声の一茶になっていますので、ご来館の際は是非一度お聞きください。

リリーさんは、映画「一茶」で主演を務められており、そのご縁から出演を依頼したところ、快諾いただき、このたび完成の運びとなりました。

同映画は今のところ公開未定ですが、一日も早い公開を祈念しています。

内覧会には、一茶記念館の運営主体である信濃町の横川町長にも出席いただきました。写真は横川町長へのインタビューの様子です。

音声ガイドは、タブレット端末を採用しており、音声を聞きながら、画面上で詳細な解説を見ることもできます。

なお、本事業は「平成29年度 文化庁 地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」の補助を受け、「一茶のふるさと魅力再発見事業実行委員会」が整備を行っております。

小林一茶191回忌全国俳句大会

一茶の命日である11月19日に、恒例の一茶忌全国俳句大会が、一茶記念館を会場に開催されました。例年、雪の一茶忌となることが多い本大会ですが、今年はまれに見る雪となり、一面真っ白な柏原での一茶忌となりました。

午前中は、現代俳句協会会長を務められている宮坂静生先生の記念講演が開催されました。今回は、「芭蕉と一茶・井月」と題して、芭蕉の奥の細道に見られる、情愛を詠む姿が、一茶や伊那の井月へ受け継がれていったというおはなしをいただきました。

お昼には、こちらも恒例の、地元の新そばを味わってもらうそば会が開催され、雪の屋外にもかかわらず、多くの人がおいしいそばに舌鼓を打ちました。

午後は、表彰式が行われました。今回は、大会入選句に加えて、今年の夏に募集を行った、「一茶のふるさと俳句づくりブック」の表彰式も、プレゼンターに選者をお勤めいただいた俳人の大高翔さんをお迎えして実施されました。受賞した小学生が、賞状を大高さんからいただいた後に、はきはきと自分の句を発表すると、会場からは大きな拍手が起こっていました。

幕府領であった江戸時代後期の柏原

10月21日、今年最後の一茶記念館講座を開催しました。今回は、中央大学文学部教授の山崎圭先生に「中野代官の幕府領支配と柏原中村家」と題してお話いただきました。一茶のすんでいたここ柏原村は幕府領で、現在の中野市にあった中野陣屋の支配を受けていました。

幕府領の代官は2~3年程度で交代するうえ、5万石あまりの管轄領域に対して、わずか数名の役人がいるだけでした。これは、隣の10万石を領した松代藩の家臣が2000人もいた事を考えると、驚異的なことです。

そのため、安定した支配を行うためには、地域の有力者層の協力が不可欠でした。中野代官は、「郡中取締役」という役職を設けて、有力な豪農などを任命し、村々の訴訟の仲裁役などさまざまな業務を担わせました。

柏原村においては、本陣・問屋を務める中村六左衛門が任命され、その有力分家である中村徳左衛門が、これを代行・補佐しました。

業務の性格上、裁定に納得しない村から非難を浴びたり、代官に対して村々の要求を代表して願い出たりと、支配者と被支配者の間で板ばさみになることが多く、苦労の多い役職であったようです。

歴史の教科書では、近世社会の様相はあくまで一般的な姿として描かれていますが、具体的な実情をつぶさに見ていくと、実際には、このように全国で多様な姿をとっていたと考えられます。山崎先生の講演でその一端に触れていただいたたことで、歴史の奥深さを感じる事ができました。

俳人長谷川櫂氏が提唱する新しい一茶

9月16日、今年3回目の一茶記念館講座は、現代の俳壇をリードする長谷川櫂さんをお招きし、「新しい一茶」と題してお話いただきました。

今回ご講演いただいたきっかけは、長谷川さんが昨年発表した「新しい一茶」(河出書房 日本文学全集12)です。同書では、一茶の評価が、これまで、俳句の歴史の中で、三大俳人と呼ばれる芭蕉や蕪村に比べ一段劣るとされていることや、子ども向け、ひねくれ物の俳人で、正統の流れに属さないとされてきた位置づけを見直すことが提唱されています。

一茶は俳句の歴史における要石のような存在である。というのが長谷川さんのお考えです。近世俳諧を創った芭蕉、そしてそれを受け継いだ蕪村は、和歌の時代からの古典に精通し、古典を下敷きに俳句を作りました。

一方、庶民階層出身の一茶は、彼らのような古典の教養を当初は持ち合わせていませんでした。また、一茶の活躍した文化文政時代は、文化の大衆化が進展した時代でもありました。「近代」を大衆化の時代と捉えると、この時代、古典を知らずとも理解できる、簡単な言葉で素直な心情を詠んだ一茶の俳句は、最初の近代俳句といってよいのではないか。すなはち、俳句の近代化は一茶により始まったということになるのです。一茶俳句の特色である、誰にでも分かること、そして正確な心理描写は、近代文学の必須要素であると長谷川氏は言います。

しかし、一茶自身は、その点に無自覚で、そうした俳句を詠もうとして詠んだのではありません。大衆を導く為に、「写生」を提唱し、俳句の近代化を理論として打ち立てたのは、やはり正岡子規ということになります。

長谷川さんは、その後と現代の俳句の現状についても述べられました、子規の理論を継承・発展させた高浜虚子の死後、様々な俳人が様々な考えを主張するようになり、現在の俳壇には批評が失われてしまったため、全体のレベルが低下してしまっているのではないかということです。

虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」という分かりやすい方法論は、それゆえに弊害も多く、長谷川さんは、俳人飯田龍太の言葉「感じたものを見たものにする」をひいて、うまい俳句の作り方は、写生ではなく、逆に「ボーッとする」ことで、心に浮かんだものを掴むことだとも述べられました。

非常に中身の濃い充実した内容で、講演後は、今までに例を見ないほど質問が出るなど、大変好評な講演会となりました。

一茶研究者二村博先生が語る新事実

7月22日に、常磐大学人間科学部助教二村博先生をお招きして、第2回の一茶記念館講座を開催しました。二村先生は、一茶研究の第一人者である矢羽勝幸先生の教え子で、一茶や化政期の俳諧を研究されており、著書も多数あります。

今回は、「一茶と鶴老との交流」と題し、守谷(茨城県守谷市)の西林寺住職であった鶴老と一茶の交流を、新資料を交えてお話しいただきました。

一茶の句碑第1号になった「松陰に寝てくふ六十よ州哉」については、松は松平、すなわち徳川幕府を意味し、徳川の治世で、万民が安心して暮らしている世の中を詠んでいると解釈されますが、この句が、鶴老と巻いた歌仙の発句(連句の最初に詠む句)であることはあまり知られていません。

なぜ一茶は鶴老との歌仙の発句をこの句にしたのか。そこを深く掘り下げると、まず、発句というものが、挨拶句=歌仙の開催場所の亭主を褒め称える内容とするのがしきたりであることが、ヒントになります。そして、西林寺の寺宝は徳川家康の肖像でした。

恐らく一茶はこの貴重な家康肖像を見ていて、そこから、西林寺の寺宝をほめ、ひいては徳川の治世をほめ称える句を発句としたのではないか。二村先生はそのように考えています。

たった一つの句ですが、それが生まれるのにも、このようなドラマがあったということが、資料を丹念に紐解いていくと解ります。

ちなみにこの句は、一茶の自信作であったらしく、この句を書いた作品がいくつも残されています。

今回も大変貴重なお話をお聞きすることができました。

俳人能村研三さんの記念館講座

一茶記念館では、毎年4回、研究者や俳人をお招きして、一茶や地域の歴史、俳句について勉強する「一茶記念館講座」開催しています。

平成29年度の第1回は、俳人の能村研三さんをお招きし、「俳句は個性」と題してお話いただきました。能村さんは、俳誌「沖」を主宰され、(一社)俳人協会の理事長としても活躍されています。

能村さんの父、昭和の俳人能村登四郎は、水原秋桜子の門人でした。登四郎が、師の良いところを継承し、なおかつ自らの個性を作っていった句作の歴史を振り返りながら、句作における個性の重要性についてお話いただきました。

後半は、同門の俳人たちの代表句に現れた、それぞれの個性を紹介していただき、俳句における個性を具体的に解説していただきました。