ねこ館長日記

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俳文学会全国大会

10月20日 俳人宮坂静生氏講演会

10月21日 研究発表(小林孔氏)

10月22日 文学散歩(中野市 山田家資料館)

 

10月20日から22日の3日間、俳文学会第70回全国大会が、一茶記念館を会場に開催され、全国の俳文学研究者が集まりました。

初日は、俳人宮坂静生氏による講演、2日目は学会員による研究発表、3日目は、信濃町、中野市、小布施町、高山村の一茶ゆかりの地をバスでめぐる文学散歩が行われました。

初日は少し雨が降りましたが、翌日以降天候にも恵まれ、色づき始めた紅葉を眺めながらの開催となりました。最新の研究に加え、一茶に関する大変興味深い研究発表もあり、一般の参加者の方にも非常に貴重な機会となりました。

大谷弘至氏による若き日の一茶の俳諧観

9月15日、俳人で「古志」主宰の大谷弘至氏を講師にお迎えして、今年の第3回一茶記念館講座を開催しました。大谷さんは、著書もある一茶研究者であり、また今年からは、当館が主催する小林一茶全国小中学生俳句大会の選者もお勤めいただいています。

今回は「若き日の一茶」と題してご講演いただきました。現在確認される一茶のもっとも古い旅は寛政元年(1789)、一茶27歳のときの奥州への旅です。一茶はこの旅を「奥羽紀行」にまとめたとされますが、それは現在まで発見されておらず、どんな旅をしたかは不明のままです。恐らくは、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅路をたどったのではないかと推測されているだけです。

しかし、歴史を紐解くと、少し違う様相が見えてきます。この旅のわずか6年前、東北地方は天明の大飢饉により数十万人に及ぶ餓死者を出しています。他の文献から、一茶が旅した頃は、その惨状の痕跡が未だ色濃く残っていたと推測されるのです。一茶は奥州の旅で、図らずもそうした悲劇のあとを目の当たりにしたのではないかと考えられます。

大谷さんは、若き日の一茶はこのときの経験から、災害に対する人間の無力さ、はかなさを強く意識するようになったのではないかと考えています。

こうした視点は、これまでの一茶研究にまったくないものです。今回は、こうしたお話を中心に、若き日の一茶の俳句の評価をお話いただきました。

柳沢京子さんが語るきりえと一茶

7月28日、第2回一茶記念館講座を開催しました。今回は、一茶記念館で現在開催中の企画展「一茶365+1きりえ」の作者である柳沢京子さんをお招きし、企画展の元となった作品をどのように創作したかを中心に、一茶俳句と作品の関わりをご講演いただきました。

柳沢京子さんは、テレビ局の広告制作のお仕事から転身、きりえ作品を創作するようになり、代表作である「一茶かるた」を発表されました。その後、一茶の俳句が縁となり、ドイツ各地で個展を開催することとなりました。文化の全く異なるドイツの方々は、一茶の俳句だけでは情景が想像できないが、きりえ作品とともに鑑賞することで理解できるようになるということで、大変喜ばれたそうです。

また、作品に使用している紙は、江戸小紋の人間国宝小宮康孝氏から授かったもので、使用を熱心に勧めてくださった小宮氏には、大変深く感謝しているというお話もありました。

企画展「一茶365+1きりえ」の展示替を実施

6月1日から開催中の企画展「一茶365+1きりえ~柳沢京子の世界~」の展示替えを行いました。展示品約30点のうち、20点弱を入れ替えましたので、是非ご覧ください。

今回の展示替えでは、地元信濃小中学校の8年生(中学2年生)1名がお手伝いをしてくれました。写真では、真剣な表情で、キャプション貼りを手伝ってくれています。

一茶の新事実を矢羽先生が語る

6月30日、今年度の第1回の一茶記念館講座を開催しました。今回は、一茶研究の第一人者である、上田市在住の矢羽勝幸先生を講師にお招きし、「一茶と二六庵」というテーマでお話いただきました。

青年期に江戸で俳諧の道を志した一茶は、「葛飾派」と呼ばれる流派に入門し、何人かの俳人に師事しましたが、そのうちの一人二六庵竹阿から、「二六庵」の庵号を継承し、「二六庵一茶」と名乗りました。

これまで、一茶が二六庵を名乗った時期は、寛政11年(1799)から享和元年(1801)の間とされてきましたが、昨年当館が発見した新資料により、享和3年まで名のり続けていたことが判りました。

一茶記念館ではこの新資料「一馬三回忌追善集」を矢羽先生に研究していただき、その成果を今回初めて発表していただきました。庵号は、俳諧宗匠(流派公認の俳諧の師匠格)の資格を示すものであり、一茶は俳諧宗匠として、この本が出た翌年、文化元年か、さらにその次の年まで活動していたと考えられます。

一茶はちょうどこの時期、葛飾派を離れ、夏目成美ら、当時の江戸の一流俳人との交流を活発に始めますが、一説には破門されたとされる葛飾派離脱の理由や、その時期などは、これまで様々な説が提唱され、定説がありませんでした。今回の講演では、新しい発見を元に、この問題に新たな光が当てられました。

今回の新資料は、講演後一茶記念館常設展示室で展示しております。よろしければ是非ご覧ください。

 

マンドリンのやさしい音色

6月10日に、童謡「一茶さん」マンドリン演奏会を開催しました。プレットロ・ロマンティコのみなさんは、名古屋市を中心に活躍されている合奏団で、「一茶さん」の作曲家中野二郎氏のご子息、中野雅之さんの指揮のもと活動しています。

今回は、「一茶さん」のほか、「夜更けのオルゴール」、「赤い鳥小鳥」、恒例となっている「ふるさと」などの名曲を、マンドリンの音色と、美しい歌声で演奏し、観客を楽しませていただきました。

プレットロ・ロマンティコは今年が結成50周年となる歴史ある楽団です。節目の年を迎えて、ますます素晴らしい演奏を届けていただきました。

柳沢京子さんが来館されました

本日から、企画展「一茶365+1きりえ~柳沢京子の世界~」を開催しております。柳沢京子さんは。「一茶かるた」をはじめとしたきりえの作品を多数発表されている、長野県を代表するきりえ作家です。

この企画展は、柳沢さんが昨年出版された、企画展と同タイトルの作品集に収録された作品を中心におよそ30点を展示しております。シャープな線と、淡い彩色の作品群で、いつもより展示室が華やいで見える企画展となっています。

本日は初日ということで、作者の柳沢京子さんがお越しくださいました。ちょうど団体のお客さんが入られていて、ご紹介申し上げると、歓声があがっておりました。

企画展は、8月26日(日)まで、展示替えをはさんで開催しております。皆様ぜひご覧ください。

リリー・フランキーさん出演音声ガイド内覧会

今年度整備を進めていた、音声ガイド「一茶の語る一茶のものがたり」が完成し、3月28日に、マスコミ各社を招いて内覧会を開催しました。

音声ガイドは、リリー・フランキーさんが一茶役となって、一茶記念館の展示室および周辺の俳諧寺・一茶の墓をご案内しながら、一茶の生涯を語りかける内容です。

落ち着いた、渋くて素敵な声の一茶になっていますので、ご来館の際は是非一度お聞きください。

リリーさんは、映画「一茶」で主演を務められており、そのご縁から出演を依頼したところ、快諾いただき、このたび完成の運びとなりました。

同映画は今のところ公開未定ですが、一日も早い公開を祈念しています。

内覧会には、一茶記念館の運営主体である信濃町の横川町長にも出席いただきました。写真は横川町長へのインタビューの様子です。

音声ガイドは、タブレット端末を採用しており、音声を聞きながら、画面上で詳細な解説を見ることもできます。

なお、本事業は「平成29年度 文化庁 地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」の補助を受け、「一茶のふるさと魅力再発見事業実行委員会」が整備を行っております。

小林一茶191回忌全国俳句大会

一茶の命日である11月19日に、恒例の一茶忌全国俳句大会が、一茶記念館を会場に開催されました。例年、雪の一茶忌となることが多い本大会ですが、今年はまれに見る雪となり、一面真っ白な柏原での一茶忌となりました。

午前中は、現代俳句協会会長を務められている宮坂静生先生の記念講演が開催されました。今回は、「芭蕉と一茶・井月」と題して、芭蕉の奥の細道に見られる、情愛を詠む姿が、一茶や伊那の井月へ受け継がれていったというおはなしをいただきました。

お昼には、こちらも恒例の、地元の新そばを味わってもらうそば会が開催され、雪の屋外にもかかわらず、多くの人がおいしいそばに舌鼓を打ちました。

午後は、表彰式が行われました。今回は、大会入選句に加えて、今年の夏に募集を行った、「一茶のふるさと俳句づくりブック」の表彰式も、プレゼンターに選者をお勤めいただいた俳人の大高翔さんをお迎えして実施されました。受賞した小学生が、賞状を大高さんからいただいた後に、はきはきと自分の句を発表すると、会場からは大きな拍手が起こっていました。

幕府領であった江戸時代後期の柏原

10月21日、今年最後の一茶記念館講座を開催しました。今回は、中央大学文学部教授の山崎圭先生に「中野代官の幕府領支配と柏原中村家」と題してお話いただきました。一茶のすんでいたここ柏原村は幕府領で、現在の中野市にあった中野陣屋の支配を受けていました。

幕府領の代官は2~3年程度で交代するうえ、5万石あまりの管轄領域に対して、わずか数名の役人がいるだけでした。これは、隣の10万石を領した松代藩の家臣が2000人もいた事を考えると、驚異的なことです。

そのため、安定した支配を行うためには、地域の有力者層の協力が不可欠でした。中野代官は、「郡中取締役」という役職を設けて、有力な豪農などを任命し、村々の訴訟の仲裁役などさまざまな業務を担わせました。

柏原村においては、本陣・問屋を務める中村六左衛門が任命され、その有力分家である中村徳左衛門が、これを代行・補佐しました。

業務の性格上、裁定に納得しない村から非難を浴びたり、代官に対して村々の要求を代表して願い出たりと、支配者と被支配者の間で板ばさみになることが多く、苦労の多い役職であったようです。

歴史の教科書では、近世社会の様相はあくまで一般的な姿として描かれていますが、具体的な実情をつぶさに見ていくと、実際には、このように全国で多様な姿をとっていたと考えられます。山崎先生の講演でその一端に触れていただいたたことで、歴史の奥深さを感じる事ができました。